フィードバックサイクルをうまく回すために、あらゆる手段を用いる。
「フィードバックサイクルがうまく回っていれば救われる」とか適当なことを言ってようと思ったんですが、それだと私がなんとなく納得出来ないので、フィードバックサイクルを回すことを手段とする場合の目的は何かを考えてみる。
ぼんやり考えて出た結論。フィードバックサイクルを回すことで得たいものは「良質なフィードバック」かなと。フィードバックの質を上げるのが目的。
フィードバックの質が上がる理由
フィードバックサイクルを回すと言うことは、フィードバックを活かすと言うことです。活かされること、活かされかたがわかれば、フィードバックする方も「どんなフィードバックがどんな効果があるのか」が見えますし、活かす方も「どんなフィードバックを貰えると活かしやすいか」が見えます。単発ものではこうはいきません。仮説と検証を繰り返して方向修正を行うことで、理想に近づけていく。フィードバックはフィードバックサイクルにより、より良いものになります。
「活かされるから」だけでフィードバックの質が上がることには納得出来ないかも知れないけれど、自分の行動に対して反応があるってのはそれだけで嬉しいことだと思うんです。打てば響くとかそんな感じ。それ以上に「自分のフィードバックが反映されたもの」によって自分が利益を得られる可能性は上がりますよね。愛着もわきますし。
……結局精神論みたいな所になってしまった。けどまぁ、多分、上がる。
良いフィードバックとは
- 有ること
- 早いこと
- 活かしやすいこと
- 次のフィードバックに繋がること
フィードバックはそれを受ける人のためのもの。フィードバックサイクルを回すのはフィードバックを受ける側に大きなメリットがあるから、回す方は少々コストをかけてでも回すことになる。でもうまく回せないと、やめてしまうことになる。動きの鈍いものは回すのに大きな力が要るし、その割に見返りも大きくない。停止状態から重いギアで回すのがつらいみたいなものです。